今問題になっている2025年大阪万博の話も交えて、万国博覧会についてのポストをまとめてみました。1970年大阪万博も今となっては評価されていますが、当時は学生運動の時代で大変だった。そんなに単純な話でもないということを言いたかったのです。

1970年大阪万博は学生運動の頂点の時代で、高度成長の時期でもありました。その後、ローマクラブによる「成長の限界」が出たのが1972年、オイルショックもあり急速に単純な成長路線が見直されます。1975年にあった「沖縄海洋博覧会」は想定の人数を集めることができず、博覧会による喚起の時代は終わりを告げました。同時に、建築家たちも成長路線から距離を取り、内省の時代に入ったのです。建築家が都市計画に口を出さなく(出せなく?)なったのもその頃でした。

2010年代に、わたしも実は国家的プロジェクトのベースプランをある人たちと共につくったのですが、結局それは住民投票で中止になりました。今となっては私もそれでよかったと思っています。海外でも都市計画やビックイベントは常に計画されていますが、住民投票でひっくりかえることも多いです。民主主義の時代とはそういうものだ、と考えています。